江戸時代の人気職業と稼ぎ:もし江戸時代に生きたら、どの仕事を選ぶ?
江戸時代の「人気職業」はいくら稼いでいたのか 「千両役者」は寛政の改革を機に姿を消した | 歴史 | 東洋経済オンライン
徳川家康が幕府を開いた当時、江戸は寒村だった。町づくりのために三河や駿河などから呼び寄せられたのが、大工をはじめとする職人たちである。また、武士たちの生活必需品を作る職人も、関八州などから集められた…
もしも江戸時代に生きていたら、どんな仕事が人気だったか知っていますか?昔も今も、稼げる仕事やみんなに人気の職業はとても注目されています。
例えば、大工や役者、そして運ぶ仕事をしていた人たちは、どのくらいお金をもらっていたのでしょうか?あなたが江戸時代に住んでいたら、どんな仕事を選ぶと思いますか?
江戸の花形職業:大工や左官、鳶
江戸時代、特に「大工、左官、鳶(とび)」は江戸三職と呼ばれる人気の職業でした。大工は建物を作る仕事で、火事が多い江戸ではとても忙しかったため、年収は現代で約800万円くらいに相当しました。これらの職人たちは、その技術がとても大切にされていたので、社会でも高く評価されていました。
大工よりも低いけれど…
他にも「石切(いしきり)」や「木挽(きびき)」などの職業もありました。石切り職人は、石を切り出す仕事をしていました。これらの仕事は、1日あたり約1万5000円から1万円の稼ぎがありました。職人の弟子は、長い間勉強してから一人前になり、親方から仕事をもらってお金を稼いでいました。
江戸の庶民と駕籠(かご)の物語
江戸時代の「駕籠(かご)」は、現代のタクシーのようなもので、移動するための便利な乗り物でした。日本橋から吉原までの駕籠代は約3万7500円もしましたが、多くの江戸っ子たちはこの高い料金を気にせず、駕籠での移動を楽しんでいました。
歌舞伎の千両役者と相撲力士
江戸時代の歌舞伎や相撲も大人気でした。特に「千両役者」と呼ばれる歌舞伎の役者たちはとても有名で、たくさんのお金を稼いでいました。しかし、寛政の改革(かんせいのかいかく)という時代の変化により、千両役者は次第に姿を消していきました。
まとめ
- 江戸時代の人気職業は、大工、左官、鳶
- 大工の年収は現代で約800万円くらい
- 駕籠(かご)は、現代のタクシーのようなもので、高い料金がかかった
- 歌舞伎の千両役者は、たくさんのお金を稼いでいましたが、改革でへってしまった
最近、日本の伝統文化を守るために、江戸時代の職人たちの技術を学ぶ教室が開かれています。こうした教室では、子どもたちが昔の職人技を体験しながら学ぶことができます。
江戸時代の職業やお金の話を聞いて、今の仕事とどう違うのかを考えてみましょう。どんな仕事が大変だったのか、どうしてその仕事が人気だったのか、を考えることで、現代でもどんな仕事の給料が高くて、なぜそれだけかせぐことができるのかが見えてくるかもしれません。
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